メンヘラ女子の珍道中

統合失調症、躁うつ病のアラフォー女子が、闘病生活を振り返って色々書きます。

【体験談】精神科を気軽に受診することを勧める理由

私が精神病になるなんて

私は精神病と20年ほど付き合っています。

精神病といっても、数か月休めば治るようなものから、完治はないと言われるものまで幅があります。私が何より後悔しているのは、なぜもっと早い段階で、治療を始めなかったのか?ということ。

 

私が診断されている統合失調症躁うつ病はある日突然なる、とかじゃなく、軽いメンタルの異常がだんだんと大きくなってなるようなものです。症状が軽いうちに、病院に行く。とっても大事なことです。

 

なんだかおかしい・・・・

それを、自分でなかなか認められなかった。精神病は薬で治せることを知らなかったから、最終的に救急搬送されて入院するほど悪くなるまで放置してしまったんだと、今考えます。

発病ストーリー

最初の変化は「燃え尽き症候群

私が精神病を患ったのは大学時代です。(当時はまだ病名を知らなかったので”精神病”と表現します。私の病名についてはまた別の記事で。)大学受験に失敗した私は、就職活動の時に少しでも輝かしい経歴を載せたいと思い、留学を目指していました。

 

大学生と言えば、バイト・遊びのイメージでしょうが、私はとにかく勉強していました。そして、2年生の秋に交換留学のキップを手にすることができたのです。

 

だけど、その頃でした。なんだか、ずっと目標にしていたものを手に入れたからか、心にぽっかりと穴が空いた感じで、何をするにしても無感情。表現するならまさに「燃え尽き症候群」でした。

 

うつ症状から最初の躁転

そして、次第に大学を休みがちになり、2年後期の期末試験もほとんど受けずに単位も取れませんでした。

 

その後の春休みには、部活の海外研修が待っていました。大学に通えなくなった私を心配した友人が、精神科の受診を勧めてくれたので、行って薬をもらいました。しかし、薬で心が治せるものか!っと思ってしまった私は、せっかく処方されていた薬を飲まずにすごしてしまいました。海外研修はなんとか行けたのですが、その時の私の言動はかなりやばかったです。これがあったからか、今その部活動の仲間とは、誰一人交流がありません。

 

春休みが終わろうとしていた頃、その事件は起こりました。

もう家の中はぐちゃぐちゃで、何日間も睡眠がとれてなかった私は、日ごろ良くしてくれていた近所のおばさんの家に、夜中に押しかけ、車に乗せてもらってあちらこちら連れまわしました。その流れで、彼女の家で睡眠をとりました。起きたら地元から両親が来ていました。様子のおかしい私を見ておばさんが両親に連絡をとったようでした。

 

おばさんとその家族からは、入院を勧められましたが、睡眠をとって精神状態が元に戻っていたからか、両親は安心した様子で、その日のうちに帰りました。

 

留学先で入院

交換留学は3年の後期からでした。春休みにあんなことがあったので、留学に行ってもいいものか心配になり、改めて精神科にかかったのですが、「留学先で楽しんできなさい」と、ドクターストップはかかりませんでした。

 

留学は予定通り行き、学校生活、観光、遊びと楽しみました。しかし、順調なのもつかの間、3か月ほどした時から、また学校を休み引きこもりがちになってしまったのです。そんな生活を続け、留学開始から10か月ほどした時、とうとうまたあの春休みの時の様に発狂してしまい、救急搬送され入院しました。(入院生活については、また別のページで)

 

結局、母がまた日本から来て一緒に帰国。そのまま地元に帰り、やっと治療がスタートしました。

 

あの時、治療を始めていれば

こうして、最初の異常から2年経ってようやく自分は精神病にかかっていると認めて、病院に通院することになったのですが。この時から約20年たった今も、病院に定期的に通い続け、薬も常用しています。しかも、統合失調症躁うつ病寛解はあっても完治はしないと言わています。

 

発病した経緯を振り返ると、もっと早い段階で治療を始めていたら、今頃治っていたかもしれないと感じます。燃え尽き症候群」の時に、学校休みだした頃に、あの春休みに・・・・

 

もちろん、そんなこと考えても何が変わるわけでもありません。

 

ただ、私みたいな失敗をしないように、ぜひともこの記事を読んだ方には、少しでもメンタルに異常を感じたら、迷うことなく受診してほしい。そんな思いでこの記事を書きました。